産婦人科医として仕事をしていて正直キツかった時を振り返ってみた
本ニュースレターでは、女性の健康や産婦人科医療に関わるホットトピックや社会課題、注目のサービス、テクノロジーなどについて、産婦人科医・重見大介がわかりやすく紹介・解説しています。「○○が注目されているけど、実は/正直言ってxxなんです」というような表では話しにくい本音も話します。
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分娩室を含め産婦人科医として当直する夜には、独特の「音」があります。
モニターの電子音。廊下を早足で行き来する足音。誰かの深い呼吸。陣痛が辛くて叫ぶ声。生まれた赤ちゃんの小さな鳴き声。術後の痛みにうなされる声。救急車のサイレン。
研修医になったばかりの私は、その音のなかで「産婦人科医として働く」ことの重さを、体のほうが先に覚えていったような気がします。
今回は、私の病院時代を振り返って「いちばんキツかった時期」を書いてみます。一番と言いつつ、主に2つの病院時代について触れてみます。いきなり矛盾してますがご容赦ください。
加えて、「忘れられない場面」も2つお伝えします。
ただし、今回の記事は過労を美談にしたいわけではありません。むしろ逆で、「こういう働き方が当たり前になってしまう怖さ」も含めて、医療に普段接する機会のない皆さんにも伝わる言葉で書いてみたいなと思います。
初期研修医時代:8つの分娩室が全部埋まる夜
初期研修医の頃、私は年間3000件ほど分娩がある周産期センターで、産婦人科プログラムの研修をしていました。分娩室は8つありました。8つというのはとんでもない数で、最大で8名の妊婦さんが同時にお産が進むことになるということを意味しています。
夜にその8つがすべて陣痛中の妊婦さんで埋まっている夜は、まさに戦いでした。ちなみに、総合病院でもあるので、婦人科手術後の患者さんや、がん患者さんが別病棟に入院していますし、救急外来や救急車対応も並行して起こります。とんでもないです。
一番下の当直医は、全ての患者さん対応に呼ばれます。
「先生、〇〇さん、子宮口8cmまで進みました」
「先生、△△さん、破水しました」
「救急で若い女性の腹痛です、異所性妊娠の可能性あるかもです」
「病棟の術後の患者さん、血圧が上がってきていて...」
「がんの患者さん、痛みが強いとうなされています」
私は初期研修医でしたが産婦人科プログラムにいたので、研修医2年目の後半ではすでに一年近く産婦人科で勤務していました。そして、この病院では夜に産婦人科医3名が勤務し、ベテラン1名、中堅1名、若手1名の構成でした(もちろん私は若手枠です)。
看護師さんや助産師さん、上級医に呼ばれるたびに、私は頭の中で優先順位をつけ直します。
いちばん危ないのは誰か。いちばん急いで対応が必要なのは誰か。逆に、いちばん不安で、今すぐ安心させてあげられるような言葉が必要なのは誰か。
その全部が、同じ人であることもあれば、そうでないこともあります。
研修医という立場でも、病院内では「先生」と呼ばれます。呼ばれるたびに、自分の未熟さが服の内側からザラザラと触れてくる感じがしました。研修医2年目の後半であれば少し慣れてはきていますが、当然ながらまだまだ未熟者で、一人だけで責任持って何かをやることはほとんどできません。点滴の刺し直しとか、軽めの薬剤処方くらいでした。
手技が遅い。判断が怖い。説明がうまくない。けれど止まってはいられない。なかなかの緊張感と切迫感でした。
激動の夜の途中で、15分くらいだけ仮眠を取ることがあります。
椅子に座ったまま、もしくは休憩室のソファで、目を閉じて、意識が薄れてきた頃にすぐにPHSの音と振動で起きる。そんな感じでした。それでも、一息つける時間は貴重だった気がします。もうちょい落ち着いていて1時間ほど休めそうな時もありましたが、救急対応に備えてつい当直マニュアルや研修医向けテキストを読んでしまうんですよね。いざその時になって頭が真っ白になり身体が動かないというのだけは避けたかったので。
「明けない夜はない」と言いたくなるところですが、当時は「明けても終わらない」が正直なところでした。朝になっても、カンファレンスがあって、回診があって、手術や外来の補助があって、気づいたらまた夜が来る。そんな日々が珍しくありませんでした。
今の研修医はここまで過酷な勤務環境ではなくなってきていますので、10年以上前のとある独り言、みたいな感じで捉えていただければ大丈夫です。ただ、そんな時代もありました。
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